「オメラスの神庭~壱ノ噺、榴白~」SS③
“何も持たない青年の話” 前編
※注意※
・「オメラスの神庭~壱ノ噺、榴白~」における、ネタバレを含む内容となっております。
・「榴白の過去話」です。一部、残酷・暴力表現を想起させる内容が含まれます。
ザァァア……
“あの日”からずっと変わらずに、庭は赤々としていた。
一度でも風が吹けば、真紅の葉が舞い踊り、視界を埋め尽くす。
廊下を歩いていると、中庭に面した縁側に座り、外を眺めている神代様が目に留まった。
「……神代様?」
そっと声をかければ、神代様は少し驚いた表情を見せたものの、その顔は柔らかい微笑みに変わる。
その笑みを肯定と受け取り、神代様の隣に腰を下ろした。
神代様と話すことはそう多くない。
むしろ神代様は、他の御先とよくお話になる。
それこそ、兎の御先とは楽しそうに話しているのを度々見かけることがあった。
……それでも、こうして傍に寄り添い、ただ漠然と同じ時間を共有しているだけで、不思議と心は満たされていく。
幸せだと感じることが出来た。
「ねぇ、神代様。聞いて下さいますか」
――――何も持たない青年の話を。
私が生まれたのは、神代様がお過ごしになった時より、ずっとずっと前の時代です。
国はまだ戦の真っただ中にあり、山奥にあった小さくて貧しい村は、よく戦火に巻き込まれておりました。
村人はみな、農民です。その日を生きるために、必死に地を耕し、穀物を作り……身を粉にして働きました。
そしてその名も無い村は、水の神様――水神様を祭る村でした。
村は、頻繁に水害に見舞われておりました。
荒れた地を必死に耕し、種を蒔き、毎日欠かさずに水をやり、雑草を抜き……手間暇をかけ、そしてようやく芽吹いた命の源。
我が子のように慈しみ、収穫出来る日を心待ちにして育てた作物。
それが、ある日突然、一瞬にして流されてしまうのです。――すべては水神様のご機嫌次第で。
たった数日間の大雨は、畑や田だけでなく、家や人も飲み込み、村人はより一層貧しくなりました。
春先に植え、夏までようやく成長し、秋の収穫を待つばかりだった。その折りに、一瞬にしてすべてが無に帰すのです。
絶望、なんてものではありません。それは死です。
寒さや熱さならまだ耐えられます。しかし、人にとって飢えほど苦しいものはありません。
「想像出来ますでしょうか? ……神代様にはきっと、そのような経験はありませんでしょう」
神代様は、少し困ったような、何て声をかけたら良いのか分からない……というような複雑な表情を浮かべていた。じっくりと言葉を選んでいる様子も見て取れる。
神代様を困らせてしまった、と少しだけ後悔に苛まれた。
「いいえ、いいえ……無くて良いのです。ふふ、お優しいのですね」
共感出来ないことに心を痛めてくださる。それが自分にとっては、何よりも、どんな言葉よりも嬉しかった。
「……飢えで苦しむあなた様の姿は、見たくありません。愛しいあなた様に、あんな辛い思いをさせたいとは微塵も思いませんから―……」
「―――苦しい時間は永遠かと思えるほど長い。一瞬で、そう……いっそ、一思いに死んでしまった方が、どれだけ楽でしょうか。
飢餓は本当に苦しいものでした」
村の奥深く、人どころか獣さえも通らないような生い茂った森の奥に、沼がありました。その沼は、古くから水神様が住まう沼としての言い伝えが御座いました。もちろん、はじめは誰も信じていなかったのですよ。
だって、どこからどうみても、“変哲もない、ただの沼”にしか見えないのですから。
しかし、まるで村人を嘲笑うかのように、そして村人が絶望する様を楽しむかのように、毎年決まった時期に水害が起きれば、人は“何か”に原因を求めます。
ある日、古き村に住み続ける、生き仏のような老婆がこう言ったのです。
“婿を差し出さねばならぬ”と。
祭られている水神様が、男神なのか女神なのか、その老婆の言葉を聞くまでは誰も知りませんでした。しかし、その老婆は確かに“婿”といったのです。
けれども、貧困に喘ぐ小さな村です。この頃、戦が続いており、年頃の男は全て戦いに駆り出されてしまったために、村には女と老人しかおりませんでした。妙齢の子供すらもいなかったのです。
……何故だか、お分かりになりますか?
……子はすべて売られてしまうからです。
我が子を売らねば、子だけでなく、自分自身も生きてゆけなかった……微々たる食料では、共倒れの未来しかなかった。
自分だけが生きていくことで、精一杯だった。子を養うという感覚すら、もうなかったことでしょう。
代わりになりそうな、若い女もいなければ、子供もいない。村人はほとほと、困り果てていました。
奇しくもその時期、幼い子供が迷い込んできたのです。
戦に巻き込まれ、焼け払われた隣村で生き残った孤児です。村人は張り付けたような笑みで、その子供を歓迎しました。
“目の前で父母を……可哀想になぁ”
“もう大丈夫だ。ここは安全な場所だからな”
一人、山の中を漂い、心寂しく思っていた子供にとって、その言葉は安堵をもたらすものでもありました。
しかし、村人たちが言葉をかけ、優しく接したのもほんのわずかな時間でした。村人達は子供に縄をかけると、そのまま引きずり、山奥へと連れていきました。
子供は泣き叫び、暴れました。しかし、所詮は子供の力。大人の前では無力でした。
その子供は、すぐに沼へと投げ込まれました。木の棒のような細い足に、重い重い石をくくりつけられ……二度と浮いて来ないように。
水神様の供物として、冷たい沼底で命を落とすはずでした。
子供の命を捧げ、神霊の気を宥めれば……毎年続いた水害も、やっと収まってくれるだろうと、そう信じて。
しかし、不思議なことにその子供は、沈まなかったのです。
まるで浮き輪でもつけているかのように、浮かんでいたのです。
身体は痩せ細り、脂肪なんてものはついていない。人体が浮くという要素はどこにもなかったのに。
村人は目を見開きました。そんな奇っ怪な出来事がありますでしょうか?
これでは水神様に捧げることが出来ない。――――村の不幸が続いてしまう。
子供が幼すぎるのか、供物にしては貧相すぎるのか、それともこの子供では婿足り得ないのか……逸り、焦る気持ちがありつつも、理由は分かりませんでした。
村人は話し合った末、“まだ、その時期ではないのかもしれない”という結論に至ります。
水神様に、子供は来るべき時に捧げます、と伝えたそうです。
――――子供にとっては、ここで沈み、命を捧げていた方が幸せだった。
子供は村長の家の古い納屋に繋がれました。文字通り、縄で手足を縛られ、決して逃げ出せないように。
辛うじて生きていけるだけの、最低限の食べ物しか与えられません。
納屋は薄暗く、汚く、そして風通しは最悪でした。夏は蒸されるような暑さと息苦しさ、そして冬は暖を取るものもなく、震えて過ごす日々でした。
何もない日々。
それは、いつかまた沼に沈められる時を、小屋の中でただじっと待ち続ける日々でもありました。
何もすることはなく、何を考えることもなく、ただ生きている。生かされている。飼われている。人間が自身の利益のために、敷地で育てる、家畜のように。
不思議なことに、その子供が小屋に飼われているだけで、毎年起きていた水害はパタリと起きなくなったのです。
「ふふ、果たして本当に水神様はいらっしゃったのでしょうか? 神代様は、どう思われますか?」
「ただの天候不順、気象による、偶然だったかもしれません。でも当時、それを知る術はない。古き時代のことです、自分達にわからない事象は、何かのせいにしたくなるのでしょうね」
やがてその子供は、“水神様の婿”として扱われるようになりました。子供も、最初こそ状況がわからず、自身を家畜のようだと自嘲していましたが、村人から水神様の婿と何遍も言われるうちに、そういう存在なのだと、うっすらと自覚するようになりました。
そして、幾年も月日は流れ、子供は青年となりました。
枯れ木のように細い手足、そして肉付きのない身体。しかし、幼少時代を小屋に繋がれたまま過ごしていたためか、心は幼子のままでした。
何の知識もない。言葉はほとんど喋れず、ごく最低限しか知らなかった。難しい言葉はわかりません。
村人が話す中に、よく理解できない言葉も沢山ありました。けれどもそれを理解しようとも思いませんでした。
身体はともかく、それ以上に心は憔悴しきっていました。無気力、というのがふさわしい状態かもしれません。
ひたすら時が過ぎるのを待っていました。
毎日、毎日、毎日。
時間は中々過ぎませんでした。何もすることはなく、ただ、暗い小屋の中に繋がれ、じっと過ごすだけの日々。
そこに少しの娯楽でもあったのならば。
例えば、小さな窓があり、そこから移ろう景色を見ることが出来たのならば。
例えば、小さな生き物が気まぐれに迷い込み、その様子を観察することが出来たのならば。
まだ幾分か良かったかもしれません。
しかし実際にそんなことはなく、わずかな藁の上で、茫然と虚空を見つめるだけ。眠っても眠っても、時間が過ぎることはなく。
――それは地獄のような日々です。
その青年は、ただ待ち遠しく感じていました。
――早くここから解放されたい。
それはつまり、一刻も早く水神様の婿として死にたいということです。
ある年、それまで穏やかであった天候が崩れました。
今こそ、生贄を水神様に捧げる時であると言い始めた村人の喧騒を、青年はぼんやりとした様子で耳にしました。
そして、それが意味することを理解した時。
その青年は、この地獄の底のような村に来て、初めて微笑みました。
続きます
written by 義ヰ(Duosides)