「オメラスの神庭~肆ノ噺、玄柚~」SS

かさなる
※「オメラスの神庭~肆ノ噺、玄柚~」の後日談になります。

 昼が過ぎ、空の色が徐々に深い色に変わっていく。
 昼が夜に切り替わるだけの面白みもないそのさまを、神代様は熱心に眺めていた。
夜の帳が下り、空には星が輝き始める。もうすっかり夜である。
暫くの間、それを見上げていた神代様が何か気づいたように小さく声を上げた。それまでまったく動き出す気配のなかった神代様がくるりと身を翻す。
軽い足取りで窓辺から離れ、廊下の先へと進んでいく。その一連の行動を少し離れていたところから見ていた俺は当然のように神代様の後を追った。
 
 屋敷の中を歩くこと暫く――。
目の前を歩いていた神代様の姿がとある部屋に吸い込まれていく。
 そこは、台所だった。
 おかしな話だが、この屋敷には台所がある。俺達の食事を考えると不要な場所に思えるが、神代様が時折、料理をしていることを知っているので必要ではあるのだろう。
 生きていくうえではなくてもいいもの。けれど、あれば満たされるものを娯楽と呼ぶのなら、料理は神代様にとって数少ない娯楽なのかもしれなかった。
 なるべくなら元の世界を思い起こさせるような行為はさせたくはない。だが、すべてを制限していたら余計に郷愁をかきたてるかもしれない。だから、この程度のことなら容認すべきなのだと思う。
 そう自分の心に折り合いをつけてその場から離れようとした時には、少し遅かった。
 神代様と目が合い、声をかけられてしまった。
 様子を窺っていたことを咎めることもせず、神代様はこちらへ来るように言う。乞われるまま、手の届く距離まで行くと神代様が作っていたものが何かわかった。

「……団子か?」

 神代様は大きく頷き、月見団子だよと付け加えた。
 紅葉で彩られた神庭は一見すると秋のようだが、この場所に季節はない。当然、季節ごとの風習もない。だから、つい疑問が口をついてしまった。

「……何故、今なんだ?」

 常に紅葉しているのなら、暦がないのなら、いつ月見をしてもいい。だからこそ、何故今それを思い至ったのかが気になった。
 神代様は一瞬きょとんとした後、おずおずと口を開いた。
 ほら月って玄柚の瞳の色に似てるから、と。

「……っ」

 虚を衝かれた俺は何の反応もできなかった。それを悪い意味にでも受け取ったのか、神代様はばつの悪い顔で付け加えた。
 それも今更だよね。でも、月を見てたら気づいて、と。
 そう思ったら居ても立ってもいられなかったのだと神代様は答えた。
固く引き結んでいた唇をゆっくりと開く。声が震えないか心配だった。

「……そうか。そういうことなら手伝おう」

 そう答えると、神代様はほっとしたように口元を緩めた。
 手順がわからないから指示をくれと頼むと、丁寧に教えてくれる。言われるままに手を動かす俺は大して役に立っているとは思えない。それでも誰かと何かを作り出すことが楽しいのか、神代様は時折、声を立てて笑った。
 生きていくうえでこの行為には意味はない。
 たとえ団子を口にしたとしても糧になることはない。
 それでも、この時間に意味がないとは思えなかった。思いたくなかった。

「次はどうする? ……神代様?」

 俺の顔をじっと見上げていた神代様が呟く。
 やっぱり綺麗、と。
 それが何を指すのかは、これまでの会話の流れから察するのは容易だった。けれど、その言葉に対してどう返すのが正解なのかわからず、思考が二転三転する。
無意識に、思わずこぼれた独り言のようなものだったのだろう。神代様は何事もなかったかのように次の手順を説明し始めた。
 その声に耳を傾けながら、行き先を失ってしまった言葉を舌の上で転がす。
あなたの瞳のほうが綺麗だと、そう伝えたかった。





written by 千崎郁未